私は、両親共に苦手でした。
特に母との確執は、私をとても追い込むもので、この人の言葉は何も聞き入れたくありませんでした。
しかし、今は大分歩み寄ることができています。
自分を「癒しの為の浄化」をし、母も「癒しの浄化」をしたことで関係が変わってきたと感じています。
初めは、自分のことだけで、憎い母を良くしてやろうなど、とても考えが及びませんでした。
しかし、認知症が急に進み、このままでは、我が家で殺人事件が起きると危機感を持った時、初めて心を浄化し、1年以上経ち 母と父がが穏やかに過ごせるようになりました。
父も私のやっていることを少しは、理解をして、信用してくれるようになりました。
これから、少しずつ母と私とのことを書いきます。
これは、母に心の癒しの浄化をして半年位経った頃の話です。
私は、生まれた時から母に無視され続けてきました。
可愛くなかったからと母は言っております。
お腹を痛めて生んだ子供に対してそこまで愛情という感情が沸かなかったなにかが、あるのでしょう。
私も56歳。
やっと、母と向き合うことができるようになりました。
これは、実の母親が、私に悪かったと謝りながら昨年話した話です。
「長年可愛がってあげなくてごめんね。」
おやつを食べている時に突然、誤ってきました。
「どうしたの?」と聞く私に
「誤っておかなければ、いけないと思って」
このころ、母は、医師にアルツハイマー型認知症と診断され、
身体も大変弱っており、死期が近いかもと覚悟しておりました。
あなたが、1歳になったころ、お母さん、お母さんと寄ってきたけど、身体だるいし、面倒くさかったから、ほっといたのよ。
私をお腹に宿した時から離婚調停をして、実家で私を生みました。
結核にかかり、私も感染したそうです。
母によると、まとわりつく私が、うるさくて赤ん坊の時から一度も抱いたことが、ないというのです。
「とにかくあなたは可愛くなくてね。抱く気になれなかったのよ。」
「そんなことなかったでしょうに」という私に母は、追い打ちをかけます。
「可愛くなかった証拠にあなたの小さい頃の写真ないでしょう。」
確かにありません。
法事などの集合写真はありますが、弟と写っている写真はありますが、単独での写真は、数枚。
母と二人で写っている写真はありません。
我が家の父は、カメラマン しかもスタジオ完備の写真館です。
兄は、8ミリに写ったものが沢山あります。
しかし私は、写ったことさえ無く幼いころ不思議で仕方ありませんでした。
私が小学校あがると、両親は弟を連れて旅行に行くようになりました。
でも 私はお留守番
家族旅行は万博の時、会社の社員を全員連れて、旅行に行った時の記憶が、最初でした。
母親に聞くとやはり、これが、最初で、最後のお出かけだったようです。
これを一度、私に謝ってからは、しばらくの間1週間に一度は、誤ってきます。
そして、知り合いがくると、私がいかに小さいとき可愛くなかったかを力説するようになりました。